動物愛護x選挙 ベッドでくつろぐ2匹の黒い猫
磯野家はタマを監禁し、フネさんは解放せよ
~STINGは「見つめていたい」の後に「Set Them Free」を唄う~

STING。映画「LEON(1994)」のかっこいいエンディング曲を歌ったあの人のことである。

そのSTINGの前頭部がまだふさふさしていた頃、彼が所属していたバンドThe Policeのヒット曲「見つめていたい(原題: Every Breath You Take)」。
The Policeをご存知でない方もこの曲のイントロを聴けば「ああ、聴いたことある」となる筈だ。

the police synchronicity


原題は「Every Breath You Take」である。
だが、この曲の核は間違いなく「I'll be watching you.」というフレーズであろう、訳せば「僕は君を見続けている」。
しかし歌詞を熟読するとより適切な邦題が思い浮かぶ、それは「見つめていたい」ではなく「監視していたい」だ。

実はこの歌詞、甘い曲調とは裏腹にストーカーと化した男のゆがんだ愛情を皮肉ったものである。

今なら通報ものであろう、鉄也の度を越えた婚活の様相と、「SAY YES」に我々が涙した1991年の月曜よる9時。
日本で「ストーカー規制法」が施行されるのは、その9年後の2000年のことである。

101回目のプロポーズ

1983年の作品で既にストーカーを題材していた点はさすがSTING、先見力がある。

しかし、この「I'll be watching you.」も、Iを愛猫家、YOUを飼い猫に置き換えると、作者の皮肉をよそに愛猫へのまっすぐなラブソングに早変わりする。


Every breath you take
君の呼吸の一つ一つを

Every move you make
君の仕草の一つ一つを

Every game you play
君が遊ぶ姿一つ一つを

Every step you take
君の歩く一歩一歩を

I'll be watching you.
僕はずっと見続けている


飼い主は愛猫の仕草、呼吸、足取り、その全てを常に注意深く監視すべきである。
そこには愛猫の気持ちをはじめ、病気の初期症状など様々なサインが潜んでいるからだ。

その大事なサインを見逃さぬためにも、現代では猫の室内飼いが推奨されている。
この事については色々な考えがあると思うが、私も大切な猫は室内のみで飼うべきだと思う。
というか、動物愛護法でそのように定められている※。

動物の愛護及び管理に関する法律
第3章 動物の適正な取扱い
第1節 総則
(動物の所有者又は占有者の責務等)

第7条 動物の所有者又は占有者は、命あるものである動物の所有者又は占有者として動物の愛護及び管理に関する責任を十分に自覚して、その動物をその種類、習性等に応じて適正に飼養し、又は保管することにより、動物の健康及び安全を保持するように努めるとともに、動物が人の生命、身体若しくは財産に害を加え、生活環境の保全上の支障を生じさせ、又は人に迷惑を及ぼすことのないように努めなければならない。

3 動物の所有者又は占有者は、その所有し、又は占有する動物の逸走を防止するために必要な措置を講ずるよう努めなければならない。

要は、「わが子」の健康と安全のため、そして猫嫌いのお他人様に迷惑が及ばぬよう、飼い主は愛猫の監禁、監視に努めねばならないのだ。
お上からのお達しだ、刃向かってはならぬ。

もっとも現代の日本では「お外」に猫の居場所などない(人が密集している地域)。
故に地域猫活動が広まっているのである。
当サイトで善行として扱う地域猫活動も、本質的には猫たちを絶滅させる為の活動に他ならない。

飼い主のいない猫を捕獲し、繁殖能力を絶ち、「この代で猫は絶滅させますので…」と猫嫌いたちの顔色を伺い、それでやっとこさその子に限り「空腹を満たすこと」が許される。

ヒトが支配するこの社会では、彼らを監禁・監視するか、絶滅させることでしか彼らを真っ当に愛することができないのである。
つまり室内飼いも地域猫活動も元をたどれば苦肉の策だ。

とは言え、その甲斐もあってか、全国的に猫の殺処分数は減少の一途をたどっている。
なかには殺処分ゼロを達成した自治体まであり(その弊害もあるが)、いまだ道半ばではあるが飼い主のいない猫への社会的な福祉面は年々向上している。
そのことは素直に喜び、尽力されている方々を心からリスペクトしたい。

環境省自然環境局 総務課 動物愛護管理室_犬・猫の引取り及び負傷動物等の収容並びに処分の状況(動物愛護管理行政事務提要より作成)

そのためにも、「わが子」には「I'll be watching you.」に倣い室内飼いをぜひ徹底していただきたい。


さて、そのSTINGのその後である。
翌年The Policeは活動停止を宣言、更にその翌年にはソロ名義の1stアルバム「ブルー・タートルの夢(The Dream of the Blue Turtles)」をリリースする。

The Dream Of The Blue Turtles

ジャズもどき・・・もとい、ジャズとポップスを見事に融合させた1stアルバムの幕開けを飾るのは「If You Love Somebody Set Them Free」。

邦題のない長めのこのタイトル、訳すと「君がだれかを愛しているのなら、その相手を自由にしておくべきだ」という意味だ。

愛猫への思いを代弁した「見つめていたい」とは打って変わり、この曲は私の愛妻への思いを代弁する。

私は彼女に対し「この人だけは私を裏切らないだろう」とも「この人にだけは裏切られたくない」とも思っていない。

私は彼女に対し「この人になら裏切られても構わない」、ただそう思っている。

私は人の心に対し「不変」を求めない。
私は無学で無知だが、「永遠」を他者の心に求めるほど無知で愚かではない。
人の心は物ではなく、無垢でもない。無論、彼女も例外ではない。

波平とフネ

うちに限らず、世の妻たちは旦那のことなど気にせずに「お外」で自由に息抜きをすればいい。
磯野フネさんをつかまえて「日本の母」だの「理想の家庭」だの、男性の私から見ても違和感を覚える。
女性は家猫とはちがう。

「女にそんな好き勝手をさせて、浮気でもされたらどうすんよ?」と世の磯野波平たちに突っ込まれようが、私の答えは変わらない。
「彼女になら裏切られても構わない」、以上である。

こんなコラムをせっせと書いている面倒くさい人間を四半世紀も相手にしてくれているのだ、それだけで十分だ。


磯野タマの放し飼いに関しても現代では「理想の飼い方」とは言い難い。今は昭和ではなく令和だ。
現代が昔に比べ、すべてにおいて素晴らしいとは思わない。
しかし先のグラフが示した通り「毎年100万頭前後の猫を殺処分していた昭和時代」に逆戻りすべきでないことだけは断言できる。

「放し飼い」は大量殺処分の昭和の生活様式、及び人々の価値観と切り離して考えることはできない。
そこは「大らかな、いい時代だったよね」的な、ぼやっとした甘美なノスタルジーと混合すべきでない。
更にその「大らかさ」の元に様々な弱者やマイノリティーたちの権利と自尊心が悪気もなく踏みにじられてきたことも事実であろう。
TVをつければ、そのような人たちを笑いものにしたジョークが平気で流れていて、我々もそれを平気で笑っていた。
昭和という時代には明らかにそういった側面もあった。

そこいら中で繁殖を繰り返し、結果保健所のガス室にすし詰めにされたひとつひとつの命も、又その「大らかな時代」の犠牲者なのだ。

磯野タマ

「お外」と「室内」では猫にとって別世界である。飼い主の見つかった幸運な猫は、安全な場所で愛情をかけて育まれることを願ってやまない。


~動物一匹を救うことで世界は変わらないだろう。しかし、その動物にとっての世界は全く違ったものになる~
 -Pierre Thivillon-



※ 一方で、環境大臣が定めた基準「家庭動物等の飼養及び保管に関する基準」では、屋外飼養を禁じてはいない。各地域の実情、及びこれまでの慣例に配慮したものだと思われる。
2019年の愛護法改正で、猫に関してはこちらの基準を順守する条文が盛り込まれた。

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