イヌネコにしか心を開けない人たち
香山リカ 著
出版年月日 2008/1/1
一歩引いた目線で動物愛護について書かれている本が読みたい。そう思い、この本を購入した。
著者である香山リカさんは、犬1匹・猫5匹と暮らしているそうだ(初版発行当時)。
精神科医であり、大学教授でもあるとの事。
そんな方が過熱する「飼い主のペット愛」を一歩引いた目線で書いた本。
購入前にAmazonのレビューを見ると、こんな感じであった。
実際に私も本書を読んでみたが、まさにその通りだった。
ついでに私が感じたことも付け足しておく
私が所有する他の動物関連の書籍に比べると、物理的にも(全189頁)、内容も共にペッラペラだ。
こういった書籍を基準にすると、この本は正直、井戸端会議レベルの内容だ。
要は、著者が気の向くままに書いた、単なるエッセイ集である。
こんなにスラスラ読める本は、「成りあがり How to be BIG―矢沢永吉激論集」以来、四半世紀ぶりだ。
リンク:無教養、四半世紀ぶりに本を読む ~学ばざる者意見すべからず~| 愛護票.net
そんな本書は、ペット偏愛からペットロスまで、さまざまなテーマで書かれている。
当レビューは、その中でも「第六章 暴走する動物愛護」に的を絞って書く。
まず、本章はこういった事例の紹介で始まる。
この引用を取っ掛かりに、その後は動物愛護団体の批判へと展開する。
しかし、このような建築主と地域住民とのトラブルは、動物愛護団体以外の事例でいくらでも目にする。
保育園建築、商業施設・飲食店・賭博場の出店、マンション建築、障がい者施設の運営、ごみ処理場・核廃棄物の最終処分場の立地など枚挙にいとまがない。
そして、このトラブルの一番の原因はここであろう。
つまり、このトラブルの本質は、動物愛護団体のみがもつ特殊性には依拠していない。
保育園建築だろうが、障がい者施設だろうが、ごみ処理場の立地だろうが、同じようなことで反対され、同じような反対運動が起こる。
騒音・匂い・渋滞・混雑・日光・風(←画像左下(笑))、果ては「街の雰囲気」。
住民たちが反対している理由はさまざまだ。
しかし、こう列挙すると、どの反対運動も似たり寄ったりに見える。
何故なら、どの反対運動にもひとつ共通点があるからだ。それは、
私には(大して)恩恵のない、迷惑な建物・施設・設備を、私の家の近くに建築するな!!!
ということである。
むろん、滋賀県高島市の住民たちも例外ではない。
よって、この引用から動物愛護団体「特有」のなにを批判したいのか、さっぱり分からなかった。
まさに、的外れである。
さらに、この第6章では、動物愛護団体の「ヒステリック」さをたびたび批判している。※1
しかし、わたしの目にはこの反対住民たちも同じように映るのだが、わたしの目の錯覚だろうか?。
余談だが、障がい者施設の運営に断固反対する、高級住宅街の近隣住民たちに、「セレブっつーのは、なんて思いやりのない連中なんだ!」と憤っていた傍観者たち。
しかし、ひとたび自分の自宅周辺に「何かそのような迷惑を感じる施設」が建築されるとなると、この有りさまというわけである。
恐らく、私もあなたもそのひとりであろう。※2
ソース元:「モアナケア 反対」でGoogle検索
話を戻そう。
この調子で著者は、動物愛護団体は過激化の一途をたどる、という主張を繰り返す。
調べてみると、確かにこの団体にも問題がいくつか見られた。
だが、間違えてはいけないのは、
一部に過激な団体が存在したからといって、すべての動物保護団体が過激だとは限らない
そして
一部に過激な団体や個人が存在するのは、動物愛護に限った話ではない
ということである。
ブラック・ライブズ・マター運動で略奪や殺人事件が起きたからと言って、人種差別に異を唱える人々のすべてが危険人物とはならない。
2020年の米大統領選挙期間に、トランプ氏とバイデン氏の両支持者の間で激しいぶつかり合いがあった。
中には暴力沙汰もあったが、そういった過激な行動をとる支持者は両候補者側にいた。
つまり、ある特定の主義に傾倒すれば、すべての人が過激になるわけではなく。
過激な人間が、ある特定の主義に傾倒するというわけでもない。
これに関しては鶏が先か卵が先か、という理屈では決してない
どんな主義主張でも、それを世に訴える活動となれば、過激化する人間は現れる。
それだけのことである。
「ベトナム戦争反対!」と平和を訴っていた学生たちが、暴徒化することさえある。
ソース元:「新宿騒乱事件」でGoogle検索
右寄りだから、左寄りだから、イスラムだから、キリストだから、そういったことは関係ない。
こんなことは余程のバカでない限り、少し考えれば誰でもわかることである。
ところで、この画像で中指を立てているのは、この「暴走する動物愛護」「過激化する動物愛護団体」「運動過激化の歴史とメカニズム」を執筆した著者ご本人だろうか?
著者のことを検索している時に、検索結果で出てきた「ひろい物」だ。
更に「馬鹿野郎 桜井 死ね 豚野郎」と検索するだけで、このデモでの著者の言動についての検索結果が山のように表示される。
ソース元:「馬鹿野郎 桜井 死ね 豚野郎」でGoogle検索
あなたが動物保護家たちに、渾身の力で投げつけたブーメラン。
ぶるんぶるんと風を切り、あなたの鬼の形相めがけ見事な弧を描いているではないか(笑)。
おまけに、「どんな活動にも、常軌を逸脱した言動に走る過激な個人はいる」という私の主張。
それを、著者自らが身を持って示してくれたのだから、ありがたい限りである。
くわえて、「ボランティアに参加したことで人間不信に」という項にも同じことが言える。
内容は地域猫活動のグループ内でのトラブルで、人間不信になってしまった方の話だ
(著者が診察室で会った人(匿名)から聞いた話をもとに、書かれている)
しかし、こういったトラブルも職場、学校、サークル、ママ友グループ、何ちゃら派閥まで、ありとあらゆる「人と人が関わる所」で発生する。
このことも余程のバカでない限り、少し考えれば誰でもわかることである。
地域猫活動について、どうしても触れておきたい箇所がある。
「里親ボランティア活動の"お作法"」と、この活動をさも茶化したような項がある。
その項のなかで、以下の4コマ漫画が引用されている。
ちなみに、これは「猫好きが爆笑できる漫画」らしい。
私も猫好きの端くれだが、この話のドコに「爆笑」すればよいのか、1ミリも分からなかった。
(里親さんの命名権に口出しするのがナンセンスなことには同意するが)
そして著者はこう綴る。
所で、この松尾スズキさん(運転免許証を川に投げ捨てた過去を持つ)と香山リカさんの方が、「世間一般のそれとはやや違っている」可能性はなかろうか?。
私には「里親に定期報告を求める」ことより、「運転免許証を川に投げ捨てる」「赤の他人に鬼の形相で中指を立て死ねと絶叫する」方がいくばくか奇異に思える。
いまや、殺処分を減らす為、行政が開催する里親会も多い。
そこでも、条件・審査・「飼い主」講習会の受講・誓約書・里親データーベースへの登録など、面倒なことがてんこ盛りだ。
里親には責任ある終生飼養を求める以上、誰でもどうぞご自由に!後はどうぞご勝手に!となる訳がない。
このことも余程のバカでない限り、少し考えれば誰でもわかることである。
以下、環境省が策定したガイドラインから一部を引用する。
譲渡事業を運営する各自治体に向けられたものだ。
著者も大学教授なのだから、「里親ボランティア活動の"お作法"」と、「行政庁が定めた指針」が持つ意味の違いくらいは理解できよう。
参考:譲渡支援のためのガイドライン-環境省 (PDFファイル)
さて、環境省が定めた指針と、この軽率な4コマ漫画の松尾スズキさん。
"ズレている"のはどちらであろうか?。
こういった求めにイラつき、「はいはい」と面倒そうに受け流す。
一方で、「(報告なんて)しねーよ」とボランティアに励む方を平気で欺く。
更に、それを笑い話にして金儲けの漫画のネタにする。
そんな松尾スズキさんの素晴らしい人間性。
こういった属性の人間が、動物の面倒を最期まで見ることができるのだろうか?。
私には、とてもそんな風には思えない。
そこで、著者が「一般的な里親」の見本に選んだ、松尾スズキさんのその後を追ってみた。
結果は「案の定」であった。
実に模範的な飼い主だ(笑)。
本書で「一般的な里親」として引用されるだけのことはある。
さらに検索中に、松尾スズキさん本人のこんな発言も見つけた。
自称「猫好き」松尾さんの、ハートウォーミングな言葉の数々に思わずほっこりする(笑)。
坂本美雨さんとは、もはや会話とは呼べないレベルでかみ合っていない(笑)。
こういった属性の人間に、ボランティアの方々がどのような思いで飼い主のいない猫を保護し、里親に託しているかなぞ分かるはずがない。
Bob Dylanが軽率な人間との断絶を、激しい怒りと深い失望を込めて歌った曲がある。
Dylanの歌詞まで思い起こさせるなんて、さすがはこじゃれた一流クリエイターである。
矛先をもどそう(笑)。
第八章の
にはおおかた共感できた。
特に「話さないからこそ最高の相手」という項目には、ドキッとしてしまう方も多いのではなかろうか。私もその一人である。
実に見事な指摘だ。
ただ、「言葉などいらない間柄」と「言葉が通じない間柄」では意味が異なる。
「ペットと飼い主」の間柄は果たしてどちらであろうか?。
人によって様々だろう、もしくは両者を含むかもしれない。
私にとっては、冷たいようだが後者の考えが強い。
次に、飼い主がペットから寄せられる「無償の愛」に陶酔することを、「人間に都合のいい解釈」と批判している。
確かにその通りだと思う。
しかし、飼い主がペットに「無償の愛」を与えることに満足しているケースも多いだろう。私もその一人だ。
最後に、本書の「あとがき」には胸をうたれた。
前述したとおり本書は学術的な意味はもたない。だが、著者の豊富な「飼い主」の経験をもとに書かれていることは確かだ。
著者はこれまでの長い年月、たくさんの動物たちを愛し、世話をし、看取ってきたのだろう。
それに比べれば、私のペット遍歴など足元にも及ばぬ。
それが当レビューで、第六章以外への批評を控えた理由のひとつだ。
この「あとがき」では、そんな著者がペットたちとのこれまでを振り返り、自身の内省と真摯に向きあっている。
本書が出版されてから12年。著者があとがきで、「いくら考えても、結局よくわからなかった」と述べた答えは見つかったのだろうか?。
いずれにせよ、著者の愛犬・愛猫への想いは素朴で普遍的なものに違いない。
このあとがきを読み、私にはそう感じられた。
~注釈~
※1
確かに動物保護を訴えるために、意味不明なボディーパフォーマンスを公衆の面前で披露する者もいる。
裸になったり、血のりにまみれたり、本人は素朴な正義感から、良かれとしていることだろう。
しかし私には、動物保護に励む人たち全体のイメージを悪化させているだけだと思う。
「他にできること」はいくらでもあるはずだ。
※2
我が家の隣には保育園がある。建築時に建築主が挨拶に訪れた。
その際に「車通りに面しているので、子供たちが事故にあわぬように注意してください」、「親御さんのお迎えの際に違法駐車のない様、責任をもって周知してください」。
この2点のみを伝え、後は穏やかに雑談しただけだ。
この自宅は私のものだが、この街は私や古参の住民だけのものではないと考えるからだ。
しかし、保育園ではなく他の施設だったら、常にそういった対応がとれるとは言いきれない。
※3
ソース元:チースよさらば… | 田舎のお寺で猫と暮らしている
ソース元:まぐスペインタビュー 松尾スズキさん - まぐまぐ!
ソース元:「猫手に入れたー!猫手に入れたー!生後3ヶ月ー!」 / Twitter
ソース元:『ニャ夢ウェイ4』 - メランコリア
※4
原詩「I」→「they」