動物愛護x選挙 ベッドでくつろぐ2匹の黒い猫
動物の解放 改訂版|ピーター シンガー(著) レビュー -3-

動物の解放 改訂版
ピーター シンガー 著
戸田 清 訳
出版年月日 2011/05/20

動物の解放
第五章 「人間による支配」について

動物愛護に関心を寄せる日本人にとって、「西欧諸国は動物愛護先進国」は共通認識である。
この章では、その西欧諸国の人々が動物とどう関わってきたのか?。
その歴史と根底にあるものにスポットを当てている。

イギリスでは1822年に「家畜の虐待と不適当取扱い防止条例」が成立する、いわゆるマーチン法の事である。
これが世界最初の動物を保護する法律である。
因みに日本ではじめて動物愛護法(「動物の保護及び管理に関する法律」)が制定されたのは1973年なので、イギリスより150年遅れてのスタートとなる。

「早っ、さすがイギリス!」と唸るのは早合点である。
マーチン法の誕生は当時のイギリス庶民(労働階級)による度を越えた動物虐待に端を発している。
その内容たるや、いくら「当時」とは言え日本では想像も及ばない程の壮絶な虐待だ。
その残忍さの手助けになっていたのがキリストの教え、及びカント、デカルト等の哲学・思想である。

そんな中、読む者に驚きを与えるのが「動物裁判」であろう。
単なる珍事として見過ごしそうになるが、実はこの史実の中に「動物の権利~Animal rights」の本質を考える手掛かりが隠されている。
多くの場合、動物側が「被告」、時には「原告」となるこのとんでもな法廷記録。
それらは、動物たちに人格を与え、彼らが法的に権利の主体となることへの現実的な課題を、時空を越えて現世の我々にまざまざと見せつけてくる。

現在では代理人、後見人、法人格等の制度がある(それらを動物に援用できるかは置いておいて)。
しかし、この奇妙な史実は「動物の権利」を、厳密な法的概念から妥協なく考える際の大きな参考となるだろう。

似た意味では、我が国の歴史である、江戸時代第5代将軍徳川綱吉によって制定された「生類憐れみの令」。
これも、動物愛護政策を突き詰めて考える際の参考となるだろう。

初版が発行された1975年の時代背景について

先に紹介したマーチン法が動物愛護変革期の第一期とすれば、その後の世界大戦~ベトナム戦争を挟み誕生した「動物解放運動」はその第二期と呼べるだろう。

本書は1975年に発行された「動物の解放」に、大幅な改稿を施した2009年の改訂版である。

「動物と人間: 関係史の生物学(2018)」の中で著者三浦慎悟はこう述べる。少し長いが引用する。

なぜこの時期にアメリカ人は環境思想にこだわり始めたのか.ベトナム戦争に敗退した1975年は、アメリカは独立戦争の開始からちょうど200年目にあたる.ベトナム戦争はアメリカにとって建国以来の政治的な危機だった.

(~中略~)

政治変動の季節を迎えると、アメリカは、新たな刷新ではなく、建国の精神へと立ち返る

(~中略~)

アメリカでの政治的危機はつねにこのフロンティアへの原点回帰によって回避されてきたのである.

(~中略~)

1960-1970年もまた大きな政治的動乱期だった.では、この危機は何によって回避されようとしたのか.この”フロンティア”になりえたのが.”環境”である”ウィルダネス”であったのではないか.

(~中略~)

だからこそ、アメリカ環境倫理学は、当時の環境問題や社会と切り結ぶというよりは、マクロ的には包括的な人口問題へと傾斜し、ミクロ的には個人の心情や精神のあり様に集中した.個体から自然への権利論の拡張、動物の解放や権利に終始するのはこのことの証左だ.

(~中略~)

シンガーやパスモアの国籍はオーストラリアで、ここでも環境倫理学の興起があった.そこでは、ベトナムに派兵し(1965年)、死傷者の急増に反戦運動が巻き起こったこと、アングロサクソンの植民地であり、先住民アボリジニから土地を取り上げ、未開地が消失していったことなど、驚くほどアメリカと似た背景がある.そのフロンティアに対する消失感と社会的危機が重なる.この土壌に環境倫理学が発芽したのである.したがってその限りではこの倫理学に普遍性はなく.その「服用」には注意が必要だ、といえよう.アメリカ環境倫理学の真の製作者はベトナム戦争だった

動物と人間: 関係史の生物学/三浦慎悟
721頁

環境倫理の誕生に対し三浦の持論を展開している。
そして、動物解放運動もそこに含めているのは明らかである。

私はこの動物解放運動の誕生は公民権運動(1954~1968年)の延長線上、または拡張範囲にあると理解している。
付け加えベトナム戦争が終結した、1975年という時代のムードもその背中を押したと考える。

それらを裏付けるように、全国紙の「ジ・オーストラリアン」の土曜版である「ウィークエンド・オーストラリアン」の2005年2月26日発行の紙面にて、著者はこう語る。

ベトナム戦争と徴兵制があり、それらは反戦運動をもたらした。最大の重要性をもつ政治と道徳的問題に私たちがインパクトを与えることができると本当に実感させてくれた。ラディカルな新しいアイデアが流布していた。ボブ・ディラン、ジョーン・バエス、ビートルズ・ローリングストーンズが新しかった。HIV/エイズのない時代に経口避妊薬が導入された。・・・ほかに何がもっと人生をエキサイティングにできるだろうか?

動物の解放/ピーター・シンガー
340頁

本書の「付録1動物解放の三○年」によると、「動物解放」という語句は「ニューヨーク書評雑誌」1973年4月5日号の表紙ではじめて登場した。
その表題の論文で著者は「動物・人間・道徳」という動物の扱いについてのエッセイ集について論じている。

そして、その2年後の1975年に本書の初版がニューヨークの出版社より発行された。
同時代、ニューヨークを中心としたカルチャーシーンでは何が起きてたのか?。

ジョン・レノンのもっとも政治色の濃いアルバム「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」(Sometime in New YorkCity)
これが発表されたのは、1972年。
同じく同年の8月30日にジョン・レノンが、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行った「ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ」(Live in New York City)
これもひときわ政治色の濃いステージである。

スティーヴィー・ワンダーのニューヨークを舞台に黒人青年の苦痛や怒りを鋭く表した、「汚 れた街」(LivingFor The City)
これも1972年に発表された。

Living For The City

ボブ・ディランが黒人ボクサーのルービン・"ハリケーン"・カーターの不当逮捕について歌った「ハリケーン」(Hurricane)
ニューヨークでレコーディングされたのは、1975 年だ。

desire

ニューヨークを舞台にベトナム帰還兵の内省をえぐる、マーティン・スコセッシ監督/ロバート・デ・ニーロ主演の「タクシードライバー」 (Taxi Driver)
公開されたのは1976年である。
試作は1974年、撮影は1975年に行われた。

taxi driver

ベトナム戦争と当時のカルチャーシーンを結びつける際、ウッドストック・フェスティバルが開催された1969年あたりを想 像してしまう。
しかし、本書初版が発行された1975年は60年代後半のフラワームーブメント・ヒッピー文化とはまた違う形相を呈する。
愛と平和を大義名分に、脳天気な若者が脳天気な音楽に合わせ、正義面でピースマークをしているだけのヒッピー文化。
それに対し1975年のカルチャーシーンは特に政治色が濃く、攻撃的だ。

そんな最中、本書初版がニューヨークに本部をおくランダムハウス(RandomHouse)より発行された。
これは決して偶然ではなく、必然だったと思われる。

著者は知る人ぞ知る哲学者だ。
しかし、本書は専門書、学術書の性質は薄い。
先にも述べたが、本書は社会的な動物虐待の告発に加え、「ベジタリアンのすすめ」など、おおよそ学術とはかけ離れた章が大半を占める。

すなわち本書は、当時のNYの街に渦巻いていた攻撃的、かつ挑戦的なカルチャーと同じ匂いをまとい、動物解放運動を呼びかけたラディカルなエッセイ集とも呼べるろう。

三浦の述べた「普遍性」とは大衆性、時間軸、その双方を含むものだ。
しかし、「動物解放運動」は大衆性には乏しいものの世代間を超え、有志たちに今もなお受け継がれている。

本書はそのような他者ならぬ、他種の痛みにまで想像を働かせる「心優しき、傍目にうつるもの好き」たちを、利他的行動へと駆り立てるバイブルなのである。

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