動物にやさしい1票 動物にやさしい社会
相対的みた場合の候補者の評価について

時々Twitterのコメントなどで「それだけの事でこの候補者を動物愛護と呼べるのですか?」と、そういった類いのご意見をいただく事があります。

当サイトではある候補者を他の候補者たちと相対的にみて評価をする場合があります。

他の候補者たちに動物愛護に関する情報が全く見つからない場合、ある候補者の動物愛護の情報が些細なもの、或いは受動的なものでも、「動物愛護に関する情報がみつかった唯一の候補者」として、相対的に一定の評価をする場合があります

例として、「首長が議会で動物愛護に関する質問に対し前向きな内容の答弁をしている」「愛護団体と面談をし、要望書を受け取っている」「動物福祉に関わる施設の視察」「動物福祉に関わる催しへの出席」等です

確かにそれらは本人の積極的な主義主張とは異なり、単なるポーズ、当たり障りのない返答、人気取りの可能性も孕んでいます。

しかしその言動に動物愛護を重視する有権者から一定の評価と期待が寄せられる社会と、「どうせポーズだけだ」と多寡をくくり何も起こらない社会とでは、どちらの方が動物達に利益をもたらす社会と言えるでしょうか。又、どちらの方が「動物愛護の機運の高まり」を社会に示せるでしょうか。

多くの不幸な動物達にとって一番の不利益は無関心でいられる事です。そういった意味でも動物愛護の受け皿となる候補者が一人もいない選挙を、私はヒトの一員としてとても悲しく、そして恥ずかしく思います。

他に動物愛護を訴える候補者が一人もいない状況下で、かろうじて動物愛護に関する情報が見つかった唯一の候補者の氏名とその内容を非公開にする事が、動物達にどのような利益をもたらすのか私には思いつきません。

未だに動物愛護はマイナーな政策です。些細な情報でも一人でも多くの有権者に行き渡り、その上で各自の判断で自由に投票先を決めればいいと考えております

少なからず動物愛護に理解と配慮を示した言動が、本人も忘れた頃、政治家としての生死を分ける大切な1週間に我が身に返ってくる。「選挙はその為の期間であって欲しい」有権者の一人として強くそう思います。そして、その為にも私はこの活動をしています。

「能動的ではない=受動的」と「理解がある」は両立もします。

その上で、「動物愛護に積極的な候補」と「動物愛護に理解のある候補」を混合しないよう、その表現には細心の注意を払っています。

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